club 7UP (セブンアップ)
小山・西口 キャバクラ
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十一月三日 犬を飼っていた家
2026年11月03日 21時45分
あなたの落とし物、預かっています
十一月三日 犬を飼っていた家
子どものころ、犬を飼っていた。
名前はコロ。
茶色の雑種で、片方の耳だけが折れていた。
小学校から帰ると、いつも門の前で待っていた。
私が泣いている日は、顔を舐めに来た。
雷が鳴ると、物置の下へ潜り込んだ。
そんな犬だった。
だから、実家へ届いたという電話を、母が不思議がった理由が分からなかった。
「犬の首輪を預かってるって」
「コロの?」
電話の向こうで、母が黙った。
「誰?」
「昔、飼ってたでしょ」
母は言った。
「うち、犬なんか飼ったことないよ」
*
母も、もう七十を過ぎていた。
忘れてしまったのだと思った。
保管所の番号を教えてもらい、私から連絡した。
女が出た。
「お名前をお願いします」
名乗ると、すぐに話が通じた。
「茶色の革製の首輪ですね」
「迷子札は、ついていますか」
「はい」
「コロって、書いてありますか」
女は少し間を置いてから答えた。
「ご確認いただけます」
保管所は、実家から二駅先にあった。
古い商店街の、細い路地の奥。
曇りガラスの扉に「お受取り」と書いてあった。
*
首輪は、確かにコロのものだった。
赤茶色の革。
錆びた留め具。
黄色い、骨の形をした迷子札。
私は指で札を裏返した。
そこには、実家の電話番号があった。
市外局番から、間違いなかった。
表には、ひらがなで「ころ」。
子どものころの、私の字だった。
懐かしい、と思った。
同時に、胸の奥がひどく苦しくなった。
コロがどうなったのか。
いつから、いなくなったのか。
そこだけが思い出せなかった。
「どこで見つかったんですか」
女は受取用紙を置いた。
「お引取りになりますか」
私はうなずいた。
署名していると、用紙の端に、小さな字が見えた。
鉛筆で書かれていた。
〈何と一緒に落ちていたか、聞いてください〉
私は顔を上げた。
「この首輪、何かと一緒にありましたか」
女は私を見た。
それから、カウンターの下へ手を伸ばした。
「こちらもお付けします」
出てきたのは、古い鎖だった。
首輪の金具に、つながっていた。
私は鎖を持ち上げた。
先端は切れていた。
切断面だけが、新しかった。
*
首輪を持って、実家へ行った。
母は台所で夕飯を作っていた。
見せると、眼鏡をかけ直した。
「知らないねえ」
「ほら、これ、私の字でしょ」
「字は似てるけど」
母は迷子札の番号を見た。
それから、首を傾げた。
「これ、お父さんが死んでからの番号だよ」
私は黙った。
父が亡くなったあと、私たちは今の家へ引っ越した。
そのころには、もう私は中学生だった。
コロを飼っていたのは、小学生のころのはずだった。
「番号、変えたんだっけ」
「家も違うでしょう」
母は台所へ戻った。
私は首輪を見た。
記憶の中の家には、門があった。
庭には柿の木。
その根元に、赤い屋根の犬小屋があった。
今の実家には、門も庭もない。
父が生きていたころの家にも、なかった。
*
その夜、夢を見た。
私は小学校から帰ってきた。
門の前に、コロがいた。
尻尾を振っていた。
私はしゃがみ、頭を撫でた。
温かかった。
舌が、指を舐めた。
家の中から、母が呼んだ。
「ご飯よ」
私は立ち上がった。
コロが、服の裾をくわえた。
「あとでね」
離れなかった。
私は振り払った。
そのとき、コロが顔を上げた。
耳の折れた、茶色い犬だった。
目だけが、こちらをじっと見ていた。
「忘れないでね」
目が覚めた。
枕が、濡れていた。
顔を舐められたように、頬が冷たかった。
*
翌朝、母から電話があった。
「思い出したよ」
私はベッドから起き上がった。
「コロのこと?」
「そう。賢い犬だったねえ」
母は笑った。
「雷が嫌いで、物置の下に入って」
私は窓を見た。
昨夜から降り始めた雨が、まだ続いていた。
「お母さん」
「何?」
「物置って、どこの家の?」
母が黙った。
しばらくして、電話の向こうで水道の音がした。
母が、蛇口を閉めた。
「……どこだったかね」
*
私はアルバムを出した。
小学校のころの写真を、一枚ずつ見た。
遠足。
運動会。
父と母との旅行。
犬の写真はなかった。
庭も、犬小屋も写っていなかった。
だが、最後のページに、一枚あった。
昨日まではなかった写真だった。
柿の木のある庭。
赤い屋根の犬小屋。
その前に、私と母が立っていた。
二人とも、今の年齢だった。
母は昨日と同じ服を着ていた。
私は、今着ている部屋着だった。
二人とも笑っていた。
足元に、首輪が落ちていた。
犬はいなかった。
犬小屋の暗がりに、人の指が見えた。
*
保管所へ電話をかけた。
「犬を、思い出すんです」
自分でもおかしな説明だと思った。
「飼ったことがないはずなのに、母まで覚えていて」
女は静かに聞いていた。
「この首輪、本当に私のものですか」
「お名前をご確認いただきました」
「私の名前なんか、書いてなかった」
「迷子札ではなく、内側です」
私は首輪を裏返した。
革の裏に、小さな文字が刻まれていた。
私の氏名だった。
その下に、もう一人。
母の名前。
「これ、どういうことですか」
女が答えた。
「飼っていた記憶が戻りましたら、次は飼っていた場所が戻ります」
私はアルバムを見た。
写真の中の犬小屋が、少し大きくなっていた。
「人の名前は、どんどん増えますから」
電話が切れた。
*
母の家へ向かった。
鍵は開いていた。
台所に、母はいなかった。
食卓には、アルバムが広げてあった。
父の写真だった。
亡くなる少し前、病室で撮った一枚。
ベッドの下から、茶色い毛がはみ出していた。
私は母を呼んだ。
奥から声がした。
「こっち」
廊下を進んだ。
突き当たりに、勝手口があった。
この家に勝手口はない。
その向こうから、母が言った。
「コロ、見つかったよ」
扉の隙間から、湿った土の臭いがした。
私はノブに触れなかった。
下の方で、何かが床を掻いた。
爪の音ではなかった。
人の爪を、一本ずつ押しつけるような音だった。
「お父さんも、いるよ」
母が言った。
私は扉から離れた。
ポケットの中で、鎖が鳴った。
切れていたはずの先端が、勝手口の隙間まで伸びていた。
私は首輪を床に置いた。
鎖が、ぴんと張った。
向こうから、ゆっくり引かれた。
首輪が隙間へ消えた。
すぐに、金具を留める音がした。
母が、優しく言った。
「いい子ね」
*
今、実家の廊下には、突き当たりがない。
細い通路が、暗い庭まで続いている。
近づくと、母の声がする。
父の声もする。
二人とも、私が帰ってくるのを待っている。
コロのことも、私は少しずつ思い出している。
どうしていなくなったのか。
何度も、何度も、鎖を切ったこと。
家族で引っ越すたび、いつも父が言っていたこと。
今度の家では、犬を飼ったことにするな。
まだ全部は、思い出せない。
ただ、一つだけ分かった。
首輪に刻まれていたのは、飼い主の名前ではなかった。
受取票の品名欄には、こう書かれていた。
〈迷子札付き首輪 一点〉
〈同伴者 二名〉
プロフィール
名前:りょう(リョウ) [20才]
T220
肩書き:おれかおれ以外か
血液型:O型
前職:OL
出身地:栃木県
お酒・タバコ:飲めない・吸わない
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