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小山・西口 キャバクラ
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十月三十日 一号室は空けておいてください
2026年10月30日 21時15分
十月三十日 一号室は空けておいてください
その供述書を読み終えたとき、署内の時計が一斉に止まった。
午前二時十六分。
私は、夜間の記録整理を担当していた。
机の上には、榊正一という男の供述書があった。
三十一年前の放火についての告白。
最後に、震えた字で署名してある。
この書類を作った女性警察官は、その直後から姿が見えなくなっていた。
だが、無線では声が届いていた。
『原本を、残してください』
私は録音を聞き返した。
『消えた人たちの記録も、全部』
*
供述書を複写しようとすると、紙詰まりが起きた。
一度目。
二度目。
三度目は、何も印刷されていない紙が出てきた。
スキャナーで取り込むと、署名の部分だけが黒く潰れた。
携帯電話で撮影しても同じだった。
私は原本を机へ戻した。
紙の上では、署名は読めた。
榊正一。
その文字を、誰かが爪で引っ掻いていた。
紙の裏側からだった。
私は透明のファイルへ挟んだ。
それから、隣の机にいた先輩へ見せた。
「これを、読んでもらえますか」
先輩は黙って目を通した。
読み終えるころには、爪の音が止んでいた。
*
署内にいる人たちへ、一人ずつ原本を回した。
誰かに手渡すたび、私は名前を確かめた。
だが、名前で本物かどうかが分かるわけではなかった。
顔も、声も、警察手帳も同じ。
そんな人間が歩いていると、すでに聞いていた。
それでも、読んでもらった。
読んだ人に、日時と名前を書いてもらった。
誰が目を通したか。
何と書いてあったか。
後から確かめられるように。
七人目が署名したとき、廊下から子どもの声がした。
「それ、間違ってるよ」
赤い傘を持った少女が立っていた。
「そのおじいちゃん、頭がおかしくなっちゃったの」
私はファイルを胸に抱えた。
少女は、私の机を見た。
「直してあげる」
椅子の下に、小さな影があった。
私と同じ制服を着た人間が、机の下から這い出そうとしていた。
私は原本を先輩へ渡した。
「持っていてください」
少女の顔から、笑みが消えた。
*
無線機が鳴った。
行方不明の女性警察官だった。
『そちらに、何人いますか』
私はすぐには答えなかった。
廊下の少女が、指を折り始めたからだ。
一人。
二人。
私はその場にいる人たちの名前を、紙へ書いた。
人数は言わなかった。
無線の向こうで、女性が言った。
『こちらの部屋は、あと一つです』
少女の指が止まった。
『一号室。そこが埋まると、三十室全部が揃います』
私は机の下を見た。
私と同じ顔の人間が、暗がりからこちらを見上げていた。
『新しく扉が現れても、開けないでください』
少女が、私の横へ来た。
「そうだよ」
細い声だった。
「今日は、誰も入らないでね」
*
私は取調室へ向かった。
榊正一は、まだ中にいた。
机の上に、二本の鍵。
一晩で、ひどく老けたように見えた。
小窓を開け、無線で聞いたことを伝えた。
老人は、うなずいた。
「あと一室か」
「埋まると、どうなるんですか」
「団地が、元に戻る」
「それは、まずいことなんでしょうか」
老人は答えなかった。
代わりに、私の背後を見た。
少女が立っていた。
「元に戻ったら、火事も戻るよ」
少女は言った。
「みんな、また燃えちゃう」
老人は少女を見つめた。
「通用口も、戻る」
少女が黙った。
「だから、お前は今、止めているのか」
*
無線から、別の男の声がした。
建築図面を調べた人間だという。
『外から見える扉は、まだありませんか』
私は老人に尋ねた。
老人は首を振った。
『こちらでは、廊下の壁が薄くなっています。向こうに、空き地が見える』
続いて、鍵屋だという男が話した。
『下の鍵は、こちらにあります。上は、管理人さんが持っていてください』
私は机の上の二本を見た。
「同じ鍵が二本あります」
無線の向こうが静かになった。
老人が、一方へ手を伸ばした。
少女も、同じ鍵を見た。
老人は途中で手を止めた。
そして、二本とも鞄へ入れた。
「両方、持っていく」
少女が唇を噛んだ。
*
署内の時計は、まだ午前二時十六分だった。
私の携帯電話だけが、十月三十日の夜を示していた。
あと少しで、日付が変わる。
廊下の奥に、白い扉が現れた。
一号室。
昨日まで、そこには非常用の備品棚があった。
扉の向こうから、咳が聞こえた。
火災報知器。
誰かが床を這う音。
私は足を止めた。
少女が、ドアノブの前に立った。
「聞こえないふりをして」
私は少女を見た。
「一人入ったら、みんな燃えるんだよ」
無線機から、声がした。
『そこに扉が出たんですね』
二号室の女性だった。
『近づかないでください。こちらで何か方法を――』
通話に、別の声が重なった。
幼い子どもの声だった。
『パパ、鍵を持ってきて』
老人が椅子から立ち上がった。
少女が叫んだ。
「聞いちゃだめ!」
*
取調室の老人は、私を見た。
「開けてくれますか」
私は鍵を持った。
老人を閉じ込めておくために、預かっていた鍵だ。
無線から、女性の声がした。
『その人を、外へお願いします』
私はもう一度、小窓を覗いた。
老人の足元。
机の影に、赤い傘はなかった。
だが、それで確かめられたとは思わなかった。
私は尋ねた。
「供述は、撤回しませんか」
老人は首を振った。
「戻ってきたら、続きを話します」
私は取調室を開けた。
老人が出てきた。
一号室の前で、少女が両腕を広げた。
「パパ、行かないで」
老人は少女の前に立った。
「私は、娘を迎えに行く」
少女が、初めて泣いた。
声も、顔も、普通の子どもにしか見えなかった。
老人の足が止まった。
私は無線機を、老人へ渡した。
向こうから、細い呼吸が聞こえた。
そして、小さな声。
『パパ』
老人は目を閉じた。
泣いている少女の横を、通り過ぎた。
*
一号室の扉を開けたのは、私ではなかった。
私と同じ顔の人間だった。
いつの間にか、すぐ後ろに立っていた。
「お先に」
男は笑って、扉へ片足を入れた。
その瞬間、私の足が床から離れた。
身体が引っ張られた。
男は動いていない。
私だけが、扉へ向かって滑っていた。
机の角をつかんだ。
指が外れた。
先輩が、私の腕をつかんだ。
その胸元に、供述書のファイルが見えた。
私は叫んだ。
「それを、残して!」
先輩の手が離れた。
私は暗闇へ落ちた。
扉が閉まる寸前、老人が振り返るのが見えた。
私と同じ顔の男が、廊下で敬礼していた。
*
一号室で、私は目を覚ました。
廊下へ出ると、全員が突き当たりを見ていた。
白い扉が、肉眼でも見えていた。
三十一号室。
扉の上で、時計が動き始めた。
午前二時十六分。
秒針が、一つ進んだ。
遠くで、サイレンが鳴った。
壁の向こうから、熱が伝わってきた。
無線機が鳴った。
榊正一の声だった。
『着きました』
誰かが、小さな真鍮の鍵を差し込んだ。
扉の反対側でも、金属音がした。
老人が言った。
『今度は、ここから動かない』
管理日誌の最後のページが開いた。
日付が、一つ進んだ。
十月三十一日。
一号室、入居確認。
残り、一名。
プロフィール
名前:りょう(リョウ) [20才]
T220
肩書き:おれかおれ以外か
血液型:O型
前職:OL
出身地:栃木県
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