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小山・西口 キャバクラ
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十月二十六日 部屋の外側
2026年10月26日 21時05分
十月二十六日 部屋の外側
古い図面を調べてほしい、と頼まれた。
白雨ヶ丘団地。
三十一年前に焼失した建物だった。
私は建築事務所で、古い資料の整理をしている。
依頼してきた老人は、その団地で管理人をしていたという。
「完成図ではなく、その前の図面を見たいんです」
「設計段階のものですか」
老人はうなずいた。
「廊下の突き当たりが、どうなっていたか知りたい」
幸い、事務所には紙の原図が残っていた。
倉庫で探し出し、閲覧用の机へ広げた。
全三十室。
中央に階段。
長い廊下の両側へ、部屋が並んでいる。
老人は廊下の端に指を置いた。
「ここです」
そこには、細い通路が描かれていた。
建物の裏手へ抜ける、通用口だった。
*
老人が持参した管理日誌には、写真が挟まっていた。
正確には、日誌そのものの写真だった。
焼けたページを、誰かが一枚ずつ撮影している。
「原本は、別の場所にあるんです」
老人はそう説明した。
写真の一枚に、古い手描きの見取り図があった。
私は原図と並べた。
間取りは同じだった。
ただ、廊下の端だけが違う。
通用口へ続く場所が、四角く囲まれている。
中には「三十一号室」。
子どもの字に見えた。
「後から部屋を増やしたんですか」
「増やしていません」
老人は即答した。
「そんな工事は、していない」
私は二枚の図を見比べた。
「では、この部屋ができたら、通用口が塞がれますね」
老人は顔を上げた。
私は原図を指でたどった。
「この場所は、もともと外へ出るための通路です」
老人の口が、かすかに動いた。
「だから、出口があると」
*
通用口の詳細図も残っていた。
古い鉄製の扉。
上に通常の錠前。
その下に、もう一つ、小さな錠前がある。
老人は図面へ顔を近づけた。
「二つある」
「二重に施錠する仕様ですね」
私は断面図を確認した。
少し変わった造りだった。
上の錠は、外側から鍵を差す。
下の錠は、内側から。
それぞれ別の閂を動かす。
「下の鍵穴は、部屋の中ではなく、廊下側にあります」
老人が言った。
私は首をかしげた。
「どちらから見た図ですか」
「廊下から、扉を見ています」
「それなら、下の鍵穴が見えるのは普通です。この図では、廊下側が内側ですから」
老人は黙った。
私は続けた。
「上の鍵穴は、その位置からは見えません。建物の外へ回らないと」
老人は椅子に腰を下ろした。
しばらくして、携帯電話を取り出した。
画面に向かって、ゆっくり文字を打った。
〈上の鍵穴に、鍵を差してはいけない〉
*
そのメッセージが届いたとき、十二号室の鍵屋は、三十一号室の前にいた。
二十九号室のカメラ越しに、錠前を調べていた。
下の鍵穴には、小さな真鍮の鍵が入っている。
一度回せば、覗き窓が開く。
だが、その先へは動かない。
上の鍵穴を覗くと、向こうから細い光が見えた。
誰かが、反対側にいるようだった。
「そちらに、管理人さんはいますか」
鍵屋は声をかけた。
扉の向こうで、何かが擦れた。
老人の声がした。
「いる」
鍵屋は振り返った。
住人たちが集まっていた。
「鍵を持っていますか」
「持っている」
「上の鍵穴に差してください」
金属の触れ合う音がした。
そのとき、十六号室の男が駆けてきた。
「待って!」
携帯電話の画面を掲げていた。
〈上の鍵穴に、鍵を差してはいけない〉
鍵屋は顔を上げた。
扉の向こうで、鍵が回った。
カチリ。
廊下の照明が、一つ消えた。
続いて、もう一つ。
暗闇の中から、老人の声がした。
「下も、回してくれ」
*
私の目の前で、老人の携帯電話が震えた。
返事が届いたらしい。
老人は画面を見るなり、立ち上がった。
「こちらも、回ったと」
「何がですか」
「上の鍵です」
老人はポケットへ手を入れた。
古い鍵を一本、取り出した。
持ち手に「管理人」と刻まれていた。
「これは、ここにある」
倉庫の奥で、扉の閉まる音がした。
私は振り返った。
資料棚の間。
壁しかなかった場所に、白い扉があった。
上と下に、鍵穴がある。
上の鍵穴には、すでに鍵が差さっていた。
老人の手にあるものと、同じ鍵だった。
向こうから、女の子の声がした。
「パパ、こっち」
老人は動かなかった。
「早く」
声が変わった。
今度は、老人自身の声だった。
「下も、回してくれ」
*
私は詳細図を見た。
上の錠は外側。
下の錠は内側。
白い扉には、二つとも鍵穴が見えている。
図面どおりなら、そんな面は存在しなかった。
私は老人の腕をつかんだ。
「この扉、おかしいです」
老人がうなずいた。
「分かっている」
「下の鍵が内側なら、上は向こう側にあるはずです。同じ側に二つは――」
白い扉の下で、何かが動いた。
細い金属が、ゆっくり突き出してきた。
鍵だった。
小さな真鍮の鍵。
赤い紐が結ばれていた。
鍵穴へ差し込まれるのではない。
向こう側から、こちらへ押し出されている。
私は思わず手を伸ばした。
老人が叫んだ。
触れる寸前、鍵がひとりでに回った。
二つの錠が、同時に鳴った。
*
扉が開いた。
向こうに、暗い廊下があった。
何人もの人が立っていた。
煤で汚れた顔。
制服姿の男。
カメラを構えた男。
赤い傘を抱えた修理職人。
彼らも、こちらを見ていた。
「開いた」
誰かが言った。
私は老人の腕を引いた。
だが、老人は来なかった。
私の手だけが、空をつかんだ。
足元の床が、紙のようにめくれた。
図面が広がった。
線が壁になり、四角が部屋になった。
私は倒れながら、老人を見た。
彼はまだ、事務所に立っていた。
白い扉の前で、こちらへ手を伸ばしていた。
その背後に、赤い傘の少女がいた。
少女は老人の服の裾をつかんでいた。
「パパは、まだだよ」
*
五号室が完成すると、三十一号室の扉は閉じた。
上の鍵穴から、古い鍵が落ちた。
床に触れた瞬間、煤になった。
下の真鍮の鍵だけは、残っていた。
私は住人たちに、原図の構造を説明した。
廊下の端は、もともと通用口だったこと。
上の錠は外から、下の錠は中から動かすこと。
十二号室の男が、扉を見上げた。
「じゃあ、俺たちが見ていた上の鍵穴は」
私は答えられなかった。
ただ、一つだけ伝えた。
「今、管理人さんは、本物の鍵を持っています」
十六号室の男が、焼けた管理日誌を開いた。
十月三十一日のページ。
そこに、新しい文字が浮かんでいた。
〈管理人が帰る日〉
その下に、一行。
〈外側から、開けてください〉
廊下の暗がりで、少女が言った。
「あと五人だね」
五号室、入居確認。
残り、五名。
プロフィール
名前:りょう(リョウ) [20才]
T220
肩書き:おれかおれ以外か
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