キミとなら堕ちてもいい (キミトナラオチテモイイ) 新宿三丁目 コンカフェ

東京都新宿区新宿3-22-10 アカシアビル2F TEL:03-5357-7238
  • お気に入り登録お気に入り登録

キャンセル

保存

ブログ

*にこさんのブログをテキスト検索

【考察】『進撃の巨人』と『砂の女』は、どちらも「自由」を疑っている

2026年08月20日 19時00分

 

 

 

『進撃の巨人』と安部公房の『砂の女』は、一見するとまったく違う作品に見える。

片方は巨人と戦う壮大なファンタジーで、もう片方は砂穴に閉じ込められた男の話だ。

 

 

でも、読み比べてみると、どちらもかなり執拗に「自由とは何なのか」を問い続けている。

しかも面白いのは、どちらの作品も「自由=どこかへ逃げること」という単純な答えを最後には否定しているところだと思う。

 

 

 

 

「外に出れば自由」という最初の思い込み

 

 

 

『砂の女』の主人公にとって、自由とはまず砂穴の外に出ることだった。

穴の中にいる自分は不自由で、外に出れば自由になれる。

これはかなり分かりやすい。

 

 

 

 

 

一方、『進撃の巨人』のエレンにとっても、自由とは最初、「壁の外に出ること」だった。

壁の中に閉じ込められた人類は、外の世界を知らない。

だからエレンは、壁の外に広がる世界を見たいと思う。

 

 

この二人には共通点がある。

 

 

どちらも、自分を閉じ込めているものの「外側」に自由があると思っている。

 

 

ところが、物語が進むにつれて、その考え方が崩れていく。

 

 

『砂の女』では、穴の外に出たからといって、人間が完全に自由になるわけではない。

『進撃の巨人』では、壁の外に出た瞬間、そこには自分たちを脅かす別の人間社会が存在していた。

 

 

つまり、壁を壊しても、穴から出ても、新しい世界には新しい制約がある。

 

 

自由を邪魔しているものを一つ取り除いたところで、自由そのものが手に入るわけではない。

 

 

ここが、この二作品のかなり大きな共通点だと思う。

 

 

自由になりたいのに、自分から縛られていく

 

 

さらに面白いのが、エレンと『砂の女』の男が、最終的にはまったく逆方向から同じ問題にぶつかることだ。

 

 

『砂の女』の男は、最初は何としてでも逃げようとする。

ところが最後には、逃げることができる状況になっても、自分の意思で戻ってくる。

 

 

ここで重要なのは、「閉じ込められているのに残る」という矛盾だ。

 

 

一方のエレンも、自分が進む未来を知りながら、その未来へ向かって進んでいく。

 

 

未来に縛られているようにも見えるのに、それを自分自身の選択として受け入れている。

どちらも、「自由とは何でも好きなことができる状態なのか」という疑問を突きつけてくる。

 

 

もし自分で選んだのであれば、その選択によって自分が縛られることも自由なのではないか。逆に、誰かに強制されていないからといって、本当に自由だと言えるのか。

 

このあたりから、自由という言葉がかなり面倒くさくなってくる。

 

 

 

「選べること」が自由なのではないか

 

 

 

私は、この二作品を並べて読むと、自由の本質は「どこにいるか」ではなく「選べるかどうか」にあるように思う。『砂の女』の男は、最後に「逃げる」という選択肢を手に入れる。そのうえで「残る」を選ぶ。

 

 

 

エレンも、自分が進む未来をただ受け入れたというより、自分自身の意思でその未来を選ぼうとする。

 

 

 

もちろん、その結果が正しかったわけではない。むしろエレンの選択によって、とんでもない犠牲が生まれる。だから「自分で選んだんだから自由だった」で片付けることもできない。

 

 

ここが二作品の怖いところだと思う。

 

 

自由には、選択できることだけではなく、その選択の結果を引き受けることまで含まれている。

 

自由になりたいと言うのは簡単だけれど、自分で選んだ結果まで自分で背負うとなると、急に話が重くなる。

 

 

 

 

私たちは本当に自由なのか

 

 

 

こう考えると、この二作品は意外と現代の生活にも近い。

 

 

会社を辞めることはできる。

引っ越すこともできる。

人間関係を切ることもできる。

理屈の上では、選択肢はいくらでもある。

 

 

 

それでも私たちは、生活費や家族、仕事、将来への不安を考えて、その選択をしない。

だからといって、それが必ずしも不自由だとも言い切れない。自分で考えたうえで「ここに残る」と決めているなら、それも一つの自由だからだ。

 

 

 

 

逆に怖いのは、選択肢がないことではなく、選択肢がないことに気づかないまま生活していることなのかもしれない。

 

 

 

『砂の女』で言えば、梯子があるかどうか。

 

 

『進撃の巨人』で言えば、自分が何を求めているのかを自分で考えられるかどうか。

 

 

自由とは、どこか遠くに存在するものではなく、「別の道を選ぶこともできる」と知っている状態なのだと思う。

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

 

『進撃の巨人』と『砂の女』は、どちらも「自由になれば幸せになれる」という話ではない。むしろ逆で、自由になろうとすればするほど、自由というものがどんどん分からなくなっていく。

 

 

 

穴の外に出ても自由とは限らない。

壁の外に出ても自由とは限らない。

誰かに決められた道を歩いていても、自分で選んでいるなら自由なのかもしれない。

 

 

 

だから結局、自由とは「何にも縛られていないこと」ではなく、自分が何に縛られているのかを知ったうえで、それでも自分の意思で選べることなのだと思う。

 

 

 

 

エレンも、砂穴の男も、最後まで完全な自由を手に入れたわけではない。それでも、自分がどこにいるのか、何を選んでいるのかを考え続けた。

 

 

 

 

たぶん、この二作品が私たちに突きつけているのは、「あなたは自由ですか?」という質問よりも、

 

 

 

 

 

「もし今の場所から出られるとしたら、それでもあなたはそこに残りますか?」

 

 

 

 

 

 

という、もっと答えにくい質問なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

※本記事は個人の感想です。

 
 
 
 
 

 

スーパーイイネ!  [0]
スーパーイイネをもっと見る
イイネ! [0]

※( )は、体験談投稿数です。

イイネをもっと見る
RSS1.0フィード RSS2.0フィード
プロフィール
女の子の名前

名前にこ(ニコ) [21才]
T152
肩書き:‼️3億円事件の犯人を探しています‼️
血液型:B型
誕生日:12月15日

最近のブログ
過去のブログ
2026年8月(19)
ゲットしたラッキーNo.
サクサクthank you😉🌸
ラプンツェルランタン🌟✨
あいら NEW CLUB ROGER🏴‍☠️さん
[富士見] NEW CLUB ROGER
100🩷♡
すごい!かわいい🫶🏻
マル秘🦄໒꒱· ゚さん
[安城] club SOLEIL
💎💎💎
52
いつきさん
[四ツ谷] Girls Bar Lucy
店舗写真 キミとなら堕ちてもいい・キミトナラオチテモイイ - 新宿三丁目のコンカフェ
住所
東京都新宿区新宿3-22-10
アカシアビル2F
営業時間
19:00~LAST
その他情報
カラオケあり カードが使える 駐車場が近くにあり

ページトップへ