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終電に乗っていた女

2026年06月17日 19時12分

終電に乗っていた女

終電は、俺と女の二人だけだった。

仕事で終電ギリギリになり、慌てて飛び乗った各駅停車。

車内はがらんとしていた。

俺はドア横の席に座り、向かい側の端に女が一人座っているのに気づいた。

白いブラウスに、黒いスカート。
長い髪で顔はよく見えない。

こんな時間だ。
特に珍しくもない。

俺はスマホを見ながら、早く家に着かないかなと思っていた。

しばらくして、違和感に気づいた。

電車が、駅に停まらない。

もう二駅は通過しているはずなのに、車内放送もない。
窓の外はずっと真っ暗で、街の明かりすら見えない。

地下鉄でもないのに。

スマホを見ると、圏外になっていた。

「え……」

思わず声が出た。

そのとき、向かいの女が少しだけ顔を上げた。

俺は慌てて視線を逸らした。

気まずい。

ただ、それだけのはずだった。

でも次の瞬間、車内放送が流れた。

『次は、終点です』

俺は顔を上げた。

この電車の終点は、まだ先のはずだ。

しかも放送の声が変だった。

駅員の声ではない。

小さな女の子の声だった。

『お降りの方は、お忘れ物のないようご注意ください』

電車がゆっくり減速した。

窓の外に、ホームが見えた。

けれど、駅名標がない。

ホームには誰もいない。

照明は薄暗く、壁は古く汚れている。

電車が停まった。

ドアが開く。

向かいの女が立ち上がった。

そのとき、俺は見てしまった。

女の足が、床についていなかった。

数センチだけ浮いている。

俺は息を止めた。

女はゆっくりドアへ向かう。

そして降りる直前、振り返らずに言った。

「あなたも、降りるんですよね?」

俺は答えなかった。

ドアの外から、冷たい風が入ってくる。

ホームの奥は、真っ暗だった。

女はもう一度言った。

「ここで降りないと、戻れませんよ」

声は普通だった。

でも、どう考えても降りてはいけない。

俺は椅子にしがみついた。

「降りません」

女の首が、ゆっくりこちらを向いた。

髪の隙間から、片目だけが見えた。

黒目が異様に大きい。

「じゃあ、代わりに誰が降りるの?」

意味が分からなかった。

その瞬間、車内の照明が一つずつ消え始めた。

奥から順番に。

パチン。

パチン。

パチン。

暗闇が近づいてくる。

俺は運転席の方へ走った。

「すみません! 誰か!」

運転席の窓を叩いた。

でも中には誰もいなかった。

ハンドルもない。
運転台の椅子もない。

ただ、黒い鏡のようなガラスに、俺の姿だけが映っていた。

そして、その後ろに女が立っていた。

俺は振り返らずに叫んだ。

「何なんだよ!」

女はすぐ後ろで言った。

「終電は、最後に乗った人を連れていくの」

俺の背中に、冷たい指が触れた。

「でも、誰かが代わりに降りれば、帰れる」

俺はとっさに女の手を振り払った。

その瞬間、ドアが閉まりかけた。

俺は夢中で走った。

閉まりかけたドアの隙間から、ホームではなく、いつもの駅の明かりが見えた。

「うわああ!」

体をねじ込むようにして、俺は外へ転がり出た。

背後でドアが閉まる。

電車は音もなく走り去った。

俺が倒れていたのは、最寄り駅のホームだった。

駅員が駆け寄ってきた。

「大丈夫ですか?」

俺は震えながら聞いた。

「今の電車、何ですか?」

駅員は首をかしげた。

「今夜の終電は、もう三十分前に終わってますよ」

俺は何も言えなかった。

翌日、ニュースを見て固まった。

昨夜、終電後の線路内で男性が一人、倒れているのが見つかったらしい。

亡くなっていた。

身元は不明。

ただ、その男の持ち物の中に、俺の社員証が入っていた。

俺の手元には、ちゃんと社員証がある。

じゃあ、あの男は誰だったのか。

それから俺は、終電に乗らなくなった。

でも昨日、仕事帰りに駅のホームで電車を待っていると、反対側のホームに女が立っていた。

白いブラウス。
黒いスカート。
長い髪。

女は俺を見て、笑っていた。

そしてホームの放送が流れた。

『まもなく、終電がまいります』

まだ、夜の九時だった。

 

 

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