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~怖い話~ 消えた隣人の部屋

2026年06月11日 15時43分

消えた隣人の部屋

俺の住んでいたアパートは、壁が薄かった。

隣の生活音なんて、ほとんど筒抜けだった。

隣に住んでいたのは、若い女の人だったと思う。

顔を見たことはほとんどない。
でも、毎晩同じ時間に帰ってきて、同じ時間に風呂に入り、同じ時間に電話をしていた。

夜十一時すぎ。

壁の向こうから、いつも女の声が聞こえる。

「うん、大丈夫」

「今日は疲れた」

「また明日ね」

そんな普通の会話。

ただ、気になることが一つあった。

相手の声が、一度も聞こえない。

電話だから当たり前かもしれない。

でも、隣の女はいつも、同じ言葉を同じ順番で言っていた。

「うん、大丈夫」

「今日は疲れた」

「また明日ね」

毎晩。

一言一句、同じ。

最初は気のせいだと思っていた。

でも一ヶ月も続くと、さすがに変だ。

ある夜、壁に耳を近づけた。

隣から、いつもの声が聞こえた。

「うん、大丈夫」

少し間が空く。

「今日は疲れた」

また間が空く。

「また明日ね」

そこで電話が終わるはずだった。

でも、その日は違った。

女の声が、続いた。

「隣の人、聞いてる」

俺は慌てて壁から離れた。

心臓がうるさいくらい鳴っていた。

聞こえていたのか。

いや、壁が薄いとはいえ、耳をつけていたことまで分かるはずがない。

その直後、壁の向こうから、コンコン、と音がした。

ノックだった。

隣の部屋から、壁を叩いている。

コン。

コン。

コン。

俺は布団をかぶって、寝たふりをした。

次の日。

仕事から帰ると、アパートの前に警察がいた。

隣の部屋のドアが開いている。

大家もいた。

俺は嫌な予感がして聞いた。

「何かあったんですか?」

大家は困った顔をした。

「隣の部屋の方、家賃がずっと払われてなくてね」

「え?」

「連絡もつかないから、確認に来たんだけど……」

隣の部屋には、誰もいなかったらしい。

それどころか、家具もなかった。

冷蔵庫も、ベッドも、カーテンもない。

人が住んでいた形跡が、まったくない。

「でも、女の人住んでましたよね?」

俺が言うと、大家は首をかしげた。

「あの部屋、半年以上空き部屋ですよ」

背中が冷たくなった。

じゃあ、毎晩聞こえていた声は何だったのか。

警察が帰ったあと、俺は隣の部屋を見せてもらった。

本当に何もなかった。

畳も壁も古い。

埃が積もっていて、人が歩いた跡さえない。

でも、一か所だけ変だった。

俺の部屋と接している壁。

そこに、丸いシミがあった。

耳の形に似た、黒いシミ。

まるで、誰かが長い間そこに耳を押しつけていたみたいだった。

その夜。

俺は怖くてテレビをつけっぱなしにしていた。

隣は空き部屋。

誰もいない。

そう分かっているのに、夜十一時になると、壁の向こうから声がした。

「うん、大丈夫」

俺は固まった。

声は昨日より近い。

まるで、壁のすぐ向こうではなく、壁の中から聞こえているみたいだった。

「今日は疲れた」

俺はスマホを握りしめた。

警察を呼ぶべきか。

でも、何と言えばいい?

隣の空き部屋から声がする。

壁の中に誰かいる。

そんなこと、信じてもらえるはずがない。

「また明日ね」

そして、沈黙。

俺は息を殺した。

すると、壁から小さな音がした。

ガリ。

ガリ。

ガリ。

何かで壁を引っかく音。

俺は部屋の電気を全部つけた。

壁紙の一部が、ゆっくり膨らんでいた。

内側から、誰かが押している。

ガリ。

ガリ。

ガリ。

壁紙に細い裂け目が入った。

そこから、黒い髪の毛が一本、出てきた。

俺は悲鳴を上げて部屋を飛び出した。

そのまま友達の家に泊まった。

翌朝、大家に連絡して一緒に部屋へ戻った。

壁は何ともなっていなかった。

髪の毛もない。

引っかき傷もない。

ただ、机の上に置いていたスマホに、録音アプリが勝手に起動していた。

録音時間は、午前二時三分。

再生すると、最初は無音だった。

しばらくして、俺の部屋の中で誰かが歩く音がした。

ペタ。

ペタ。

ペタ。

裸足の音。

そして、女の声。

「うん、大丈夫」

少し間。

「今日は疲れた」

また少し間。

「また明日ね」

そこで終わると思った。

でも最後に、俺自身の声が入っていた。

眠っているはずの俺の声。

「入ってきても、大丈夫」

その日、俺はすぐに引っ越した。

でも最近、新しい部屋でも夜十一時になると、壁の向こうから聞こえる。

「うん、大丈夫」

「今日は疲れた」

「また明日ね」

そして昨日から、最後に一言増えた。

女の声で。

「今度の隣は、開きやすい」

 

 

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