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誕生日だから人生を振り返る

2025年11月10日 22時48分

昔いたお店のポケパラに書いたものをiPhoneのメモアプリに残しておき、コピペしたため、少し読みにくい部分があります。

 

 

大目に見てください🎶

 

 

 

 

 

 

 

今回は私の回顧録である。

 

 

誕生日にちなみ、今までの自分の人生を振り返ってみた。

 

 

 

 

 

 

 

2000年11月11日 千葉で生まれる。

 

 

 

 

 

 

2歳 TSUTAYAのおジャ魔女どれみのビデオコーナーの前で漏らす。

 

 

 

 

 

 

3歳 おばあちゃんの家のマンションのエレベーターで漏らす。

 

 

 

成長し、靴は左右履き間違えるが、そこそこ賢い幼稚児に育つ。

家族旅行で北海道へ行った際、「1日1つまで。」と親から言われていたロイズのチョコレートを、父親が風呂に入っている間に母親に強請り、母親が風呂に入っている間にも父親に強請って1日に2つのチョコを手に入れていた。

 

 

 

 

幼稚園でおもちゃの片付けの時間が始まると、トイレに行けば毎回片付けをしなくていいということに気づく。

 

 

 

 

年長 引っ越して違う幼稚園に移る。

 

新しい幼稚園の人たちは我が強くて苦手だったため、園庭の石集めが主な遊びとなる。

 

 

 

 

 

 

たまに人数合わせでプリキュアごっこに入れてもらえたが、キュアレモネードはカーストの高い女どもが必ず獲っていくので、仕方なく毎回こまち役(緑)かオレンジのやつをやっていた。

人数が多くてプリキュアになれなかった時は誰かが飼っている設定の犬役をやらされたものである。

 

 

 

ある日登園すると、毎回のぞみ(キュアドリーム)役を譲らない性格の悪いアイドルみたいなツインテ女児に「なにそのワンピース、地味。」と吐き捨てられた。

ムカついたのでその後の歯医者さんごっこの際に、そいつの口におままごとで使う用のご飯粒みたいなスポンジを本当に口の中に入れる嫌がらせをした。

 

 

 

 

 

 

小学校1年生 吉田くんと同じクラスになる。

 

 

吉田くんは声が大きくていつも走り回っていて、先生の言うことをあまり聞かない破天荒なタイプの子だった。

私は見てて面白いので結構好きだったが、当時の吉田くんは学校全体で問題児扱いされていた。

 

 

入学して早々、吉田くんはベランダから手を振ってきた隣のクラスの男の子を見て、その子越しに窓ガラスを頭で割った。

 

結構な大事件だったため、噂は保護者にまで広まり、学校に訴えかねない母親から「あんた、吉田くんって知ってる!?」とすごい形相で問い詰められたが、私は吉田くんのことをめちゃくちゃ面白いやつだと思っていたので「何その人、知らない。」と吉田くんを擁護するように答えた。

 

「窓ガラス割ったんでしょ?」と聞かれたが「窓ガラスが割れたのすら知らない。」とシラを切った為、この頃から母親に「娘の視野が狭すぎておかしい。」と病気を疑われるようになる。

 

未だに母親からは、何かあるとすぐこの時の吉田くんの話を出されるので、変なところで嘘をついたなと何年経っても思う。

 

 

 

 

 

 

 

当時、クラスのマドンナ的存在だった髪の毛がめちゃくちゃ長い女の子(小1の男ってなんかみんな髪長い女好きじゃない?なんで?)から「拓也くんのことが好き。一緒にラブレターを書いて渡してくれない?」と言われ、私はたくやくんと幼稚園が一緒だったので、「体操クラブ頑張ってね。」とだけ書いた手紙をマドンナと一緒にたくやくんのロッカーに入れた。

 

しかし、「ラブレターを入れられる嫌がらせを受けた。」と私だけ名指しで先生にたくやくんが告発したため、それから6年間たくやくんと廊下ですれ違うと「ブタ」などと小声で呼ばれ、無視をされるようになった。

 

 

この間たくやくんのインスタをネトストしてみたら、今じゃ彼の方がブタになっていた。

マジで私からラブレターをもらっていたことを誇りに思えと心底感じている。

 

 

 

 

 

小学校低学年の頃は帰り道に近所の男の子からランドセルを押されたり、ちょっとした嫌がらせを受けていたため、犬のフンをわざと踏んでそいつのズボンにフンをなすりつけて逃げ走り、そのまま家に帰ったりしていた。

 

 

 

「やられたらやり返す」がこの時からの私のモットーである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小2 一緒に入浴していた弟が浴槽の中でウンコを漏らす。浮いていた。

 

 

習い事でそろばんと一輪車を始める。

一輪車は隣の地域の児童館で“「年齢不詳だけど絶対70は過ぎてるだろ」くらいのヨボヨボの元宮大工のおじいちゃんが一輪車の大技を教えてくれる会”みたいなのがあって、毎週土曜日にヨボヨボのおじいちゃんに支えられながら一輪車を教わっていた。

 

おじいちゃんはどこに住んでいたのか分からないが、いつも一輪車で児童館まで来ていた。

普通に今考えても結構変な話なので、現実じゃなくてあの時夢を見ていたんじゃないかと思う。

 

 

 

 

 

小3 なぜかいつもヒステリックグラマーのシャツを着てるDQNのボンボン息子みたいなデブにほぼ毎日陰湿な嫌がらせを受ける。

 

 

 

今でもトラウマなのは蝉の抜け殻を目の前で潰され、机に塗りたくられたこと。

多分DQNの息子なので、さすがに手を出すのはいけないと思い、毎朝トイレに行って3番目のトイレの前で「花子さん、あいつを呪ってくれ」とブツブツ独り言を唱える小学3年生が爆誕した。

 

 

 

小4くらいになって「花子さんって3番目じゃなくて2番目らしいよ。」という噂を聞いた日は相当なショックを受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小3の途中 東京の小学校に転校することになる。

 

 

東京の小学生は怖かった。

 

初日からクラスの人たちが私のことを下の名前で呼び捨てしてきた。

あとなんか小3のくせにイケメンがたくさんいた。

 

 

 

埼玉の小学校には鼻クソを食べる鉄道オタクや、漢字テストをカンニングしてくるし砂を食べられることを自慢してくるブス(ヒステリックグラマーDQN)、防災頭巾にウンコを隠すデブなどがいた為、「埼玉と東京ではこんなにも違うものなのか。」とめちゃくちゃ衝撃を受けたことを覚えている。

 

 

 

メゾピアノを着てるか着てないかでタイマン張ってくる女なんていなかった。

完全に全員が陽の者だった。

 

 

 

 

未だに初対面で下の名前を呼び捨てしてくる奴に出会うと、この時のことを思い出して体が震える。

 

 

人と話したくなかったので、「字が綺麗だね」と褒められたら「えみかちゃんの方が字が綺麗だよ」と返したり、「絵が上手だね」と褒められたら「えみかちゃんの方が絵が上手だよ」と全てのことに謙遜し、適当に返していた。

 

 

 

 

ある日登校すると、校庭に私以外のクラスの女子全員がえみかちゃんを中心に円になって私を睨みつけていた。

すげえ光景を目の当たりにしてしまったと思ったが、「これがtokyo...big city....」と何故か静かに興奮してしまったのを覚えている。

 

 

 

一緒に帰ろうと最初に話しかけてくれたドラマ怪物くんの話しかしないナナミちゃんが「今日はちょっと用事あるんだ。」と言って1人で帰っている私の真後ろを性格が悪すぎて顔まで歪んでしまったモモカちゃんと一緒になって悪口を言いながら付いてくるなんてこともあった。

 

 

 

そのまま気づかないふりをして家の近くまで歩き、歯を出して笑いながら振り返って手を振ったら、怖がってプールバックで顔を隠していた。

もうここまでくると結構面白いので、側から見たらいじめに分類されるのかもしれないが、少し捻くれていた私は「東京おもしれー…」と思い、日に日に学校に行くのが楽しみになっていったのであった。

 

 

ポインティも「ヤバさを面白がれなくなったら転職してください。」と言ってたし、そう思った頃には「転校するか不登校になるかしよう。」と思いながら過ごしていた。

 

 

 

 

のちに、このナナミちゃんは2019年1月、高3で自律神経の不調と戦いながら毎日勉強してヒィヒィ言っていた受験期真っ只の私に「ヤッホ〜!ナナミだよ〜ん!げんき〜?ナナミはAO入試で慶應大学法学部に行くことになったよ〜ん☆」という爆弾のような年賀状を3年越しに私の家に送りつけてくることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

ハガキ持って戦争行け。

 

 

 

 

3年越しに年賀状で存在を知らしめてきた彼女は、受験生の私に「3年経っても人は変わらない」というこの世の真理に改めて気づかせてくれるきっかけとなった。

 

 

 

 

 

東京は見栄を張る性格の悪いガキばかりで気に食わなかったので、そのまま字が綺麗で絵も上手くてそこそこ勉強もできるなんか嫌味っぽい転校生として過ごした。

 

 

 

 

引っ越したところはとても坂が多い地域だったので、「自転車で坂を登るのは危ないし疲れるから」という理由でそろばん教室とお習字に一輪車で通い始めた。

私も大概である。

 

 

 

 

 

 

小4になり、また引っ越して元の小学校に戻ることになる。

 

 

東京を離れる最後の日、給食を食べていたら前に座っていたあおいちゃんから「ねえ、ゆうやにラブレター出したってマジ?」とデカい声で聞かれた。

 

マジで全く身に覚えがなかったので、「私の名前を使って誰かが勝手にゆうやにラブレターを出した」という最悪な嫌がらせを受けていたことが発覚する。

 

未だに誰なのかは分かっていない。

ゆうやは多分中学受験をして、エスカレーターで早稲田か中央なんかに通い、エリート社会人として働いているに違いない。

 

ちなみにインキャだったので彼をゆうやと呼び捨てで呼んだなんてことは一度もない。

 

ゆうやへ、焼肉を奢ってください。

あの時のしゅりちゃんより。

 

 

 

 

 

元の小学校に戻った。

 

 

一年生の頃に頭でガラスを割った吉田くんは、相変わらずうるさくてよく走り回っていた。

前よりは大人しくなっていた。

 

 

この頃から中学受験をするために塾に通い始め、腹痛も日課になった。

 

 

ある日、マジで腹が激痛だったため、算数の時間に学校を早退することになった。

 

 

母親が「盲腸かもしれないです。」と先生に深刻そうな顔で言い残し、車で市立病院へ向かうと、レントゲン写真と共に「大量のウンコが詰まっている。」と真面目な顔をした医師から時間をかけて説明された。

 

 

「お尻を突き出してください」と言われ、看護師から浣腸をされている時、小4ながらにして「諦念」という言葉の意味を考え、自分の人生を達観した。

 

森鴎外も言っている通り、何事も自分の社会的立場を受け入れて適応しながら上手いことやっていくのが理想なのである。

 

人に流されすぎは良くないが、ウンコは流した方がいい。

 

この日から便秘の個人的な研究を始めることとなる。

 

 

 

 

 

 

小5 腹ではなく背中を押して踏ん張った方がウンコが出るという研究結果が出る。

 

 

 

 

 

 

小6 エアコンの前でウンコ座りをしてアイスを食べるとウンコが出やすいという研究結果が出る。

これは夏に限る。冬はウンコは出ない。

 

 

 

 

同じクラスでもう1人中学受験をする予定の松山くんとつるかめ算など、受験でしか使わないような勉強の話をしばしばするようになる。

 

彼は日能研に通っていて、すごく頭が良かったため、クラスの女子からはまあまあモテていた。

田舎の小学生なんてNリュックを背負っていれば全員が道を開けてくれるのである。

同じくまあまあ勉強ができていたはずの私はというと、全くモテなかった。

 

漢字の50問テストも毎回満点だったが、思春期の男子小学生はだいたいミニスカを履いているパンツが見えそうな縄跳びが上手い女が大好きなのである。

ちなみに私は縄跳びも得意だったが、全くモテなかった。

 

 

 

 

中学受験をし、隣町に引っ越して中高一貫の女子校に入学した。

 

 

 

 

ここまで読んでいる読者は、「とんでもねえヤバい奴が女子校に入学してしまった。」と思うだろう。

その通りである。

 

 

 

 

 

 

 

中1 初経

 

漏らしたのかと思い、トイレで静かに泣いた。

 

 

 

 

中2 オラフが担任になる。

 

19歳の時に3回遅刻したらクビになったバイト先の社長から「デカいという言葉は下品だ。」と怒られたことがあるので、なるべく「デカい」という言葉は普段から使わないようにしようと心がけているが、彼は鼻がデカかった。

鼻がデカいのでオラフと呼ばれていた。

本人は嬉しそうにしていた。

 

 

Twitterを始めて、成績が学年8位から138位にまで落ちた。

 

 

いつもギリギリ朝礼に間に合わない電車に乗るため、毎朝足の骨折を装って職員用のエレベーターを使い、廊下に出た瞬間にスクバをチャイムと共にカーリングのように滑らせて教室まで走って出席を獲得する日々が続いた。

 

骨折を装ってエレベーターに乗っているので、途中で乗ってきた先生が同じ階で降りた時は「目当ての階に着いたら生理痛が急に治った人」の顔で走った。

初経を終えていてよかったと思う。

 

 

 

 

 

中3 遅刻しまくる。

 

縁を切った従兄弟のTwitterアカウントを特定し、「パッパラパーマ」という題の“パーマをかけて停学になってしまった時の反省文”を投稿しているのを見て血の繋がりを感じる。

 

 

 

 

 

高1  遅刻しまくる。

 

リーチがかかって、担任に「あと2回遅刻したら大学の推薦がもらえないよ」と告げられた。

 

 

 

 

 

高2 中2の時のオラフが担任になる。

 

高2と高3はクラスも担任も変わらないので、オラフには約3年間お世話になった。

一応遅刻しないようにがんばった。

 

 

生徒会の副会長として活動する。

手を叩いて笑う人たちばかりの女子校なのに、地域ではお嬢様校と揶揄され、やたら校則が厳しく、イベントもパッとしなかったため、偉い人に「文化祭の発会式でデケエ風船を何個もブチ飛ばして中継したい。」と提案したら、明らかに嫌そうな顔をされた。

しかし、同じく頭のおかしい天才的な生徒会長がいたおかげでなんとか実現した。

 

 

「副会長だった」と言うと未だに大半の人からは信じてもらえない。

ちなみにこの時一緒に活動していた生徒会長は、お互い大学生になって2人きりでオケオールをした際、「酔っ払って帰れないフリをする女子大生のモノマネ」を披露してくれた。

大学に入学したてのはずなのに、すごくクオリティが高かったため、未成年飲酒とラケットを持っていないテニサーに入ったのではないかと疑った。

 

 

 

 

 

 

秋、朝からフレンチトーストを焼いていたら時間がかかり遅刻する。(①)

 

 

終業式間際、ホワイトデーで友達にチーズケーキをプレゼントしようとし、ラッピングに時間がかかり遅刻する。(②)

 

 

 

①②を経て、完全に推薦への道が閉ざされる。

 

 

 

元々推薦が欲しくて文化祭の代表や生徒会などの活動を行っていたわけではなく、ただやってみたいからという理由で参加していただけだったため、そこまで気にはしなかった。

 

しかし、「推薦が欲しくてクラスの代表的な役職をゲットしたかったけど、その枠を私に取られてしまった真面目な人たち」からは当時陰で盛大なブーイングを受けることとなった。

 

三者面談の際にオラフからも「他の保護者と生徒から苦情が出ているからもう遅刻はしないでくれ。」と頼まれたほどである。

「立候補の時、誰も手挙げてなかったじゃないですか。」と反論したら母親に止められた。

 

「大学に落ちればいいのに。」などとも陰で言われていたらしいが、推薦への近道である役職権を「楽しそう」で手にし、それを自分の遅刻によって粉砕し、一般受験で第一志望に現役で受かったものの、大学入学早々毎日ついて回って同級生から嫌がらせを受け、鬱になって留年退学までしているため、もう誰に何も言われることもないだろう。

 

 

 

 

 

先輩の卒業式の日、各クラス2人ずつ受付を任され、仕事が終わったあとに待機場所の自習室で他の人たちと寝ていたら、起きた時には卒業式が終わり、終礼の時間は過ぎていた。

 

 

 

掃除の時間にたまたまその日は使われるはずのない自習室を覗いてくれた他クラスの生徒が「人がいる。死んでいるかもしれない。」とドアを開けて叩き起こしてくれたおかげで、“誰からも起こされることなく自習室に取り残され、死人だと勘違いされた私”が発見されたのであった。

教室に戻ると、オラフは私が終礼にいなかったことを特に気にかけていなかったらしく、「ああ、来た」と苦笑いしていた。

 

 

 

 

 

 

高3 どうせ推薦は使えないと開き直り、息を吐くように遅刻をする。

 

登校するために家を出たはずが、荒川土手で1人で焼き鳥を食べていたり、ヒトカラをしたり、アメ横を徘徊していたり、気づいたら池袋のブックオフにいて休んだりしていた。

 

この辺りから親との関係が悪く、お金もなかったため、親と学校に内緒でバイトを始めた。

 

 

 

 

家にいるのも学校にいるのもストレスで、体調を崩しがちになり、保健室にお世話になり始めた。

三者面談で「体調が悪いのはだらしがない」「勉強もしている気配がない」と言われ、「お金がないから予備校には行かずに自分で勉強する。」と言うとオラフから「お前には絶対に無理だから今すぐここで予備校に行くと宣言しなさい。」と言われた。

 

 

予備校なんて行かなくていいよねと一緒に話していたはずの母親も、何故かこの時はオラフの味方になってかなり責め立ててきたため、理不尽すぎて反論する余地もなく過呼吸になりながら泣いた。

 

廊下に四つん這いになりゲホゲホ涙と涎と鼻水を垂らしながら泣き続ける娘の姿を横目に、同校の中学生生徒が颯爽と廊下を歩く様は、それを見ていた母親に強く影響を与えた。

ここから家族とのコミュニケーションが苦手になる。

 

 

 

 

 

部活の引退が7月末だったため、8月から受験勉強を始める。

 

結局、予備校は行かなかった。

「お金がないからこれらの参考書だけでいいから買ってくれ。」と母親にメモを渡して頼んだ翌日に、自分のバイト代でそれらの全ての参考書を買い、「もう一言も私の勉強について口を出さないでほしい。」と殴り書きの置き手紙を渡した。

 

毎日0:00から6:00まで勉強をし、そのまま登校して授業中に睡眠をとり、放課後は夜の22:30くらいまでマックで勉強をして家に帰ることが日課となった。

 

 

 

この時期はほぼ家にいなかったため、家族とのコミュニケーションはなかったはずだが、リビングで冷凍パスタを食べようとしただけで、私のことが嫌いな不登校の弟から「この家から立ち去れ」と叫び散らされ、泣きながら自室でパスタを啜り食うなどしていた。

家庭全体が限界だったのである。

 

 

 

 

大学生になった。

 

”字が綺麗で絵も上手くてそこそこ勉強もできるなんか嫌味っぽい転校生”のまま成長した私は、センター試験で9割の点数を取り、第一志望の大学に現役で入学することとなった。

 

 

家では0:00〜6:00に勉強し、高校に登校してからは睡眠をとっていたため、私が受験勉強をしていた姿は家族も先生もクラスメイトも誰一人として目撃したことがなかった。

高3のセンター試験が終わった次の日の"丸つけ会"のような日に、自己採点を終わらせてすました顔をしている私を見て、オラフは「どうだった?」とあたかも私が大学に落ちたことを確信したかのような顔でニヤニヤしながら聞いてきた。

そう、ここまで読んだ人はやっと分かったかもしれないが、この長編ブログの登場人物の中で1番性格が悪いのはこのオラフである。

 

 

 

そんなこんなで念願の大学生になり、調子に乗った私はイキって渋谷ヒカリエでバイトを始めた。

個人経営の喫茶店や倉庫など、メンバーが少ない場所でしかバイト経験がなかったため、初めて「バイトのLINEグループ」というものに入った。

 

どんな人がいるのかプロフィールを見ていたら「一生懸命!」「Sophia☆ダンス☆cafe部」「やる気!努力!振り明日まで」「青学 文実委 りゅうじ 1000円 みはる 832円 たかし6200円」など今まで関わったことのないような人種ばかりで、完全にウォールマリアの外で巨人達と遭遇し立ちすくんでしまうエレンと同じ状態なった。

怖すぎて約3ヶ月経ち、早々に辞職した。

進撃のヒカリエの割と序盤で耐えきれなくなったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして、かくいう私はこの新橋テラスで働くこととなったのである。

 

 

大学退学から今の今まで、他にもたくさんのエピソードがあるが、今回は省略させてもらう。

(ネタがなくなってしまうので会った時にたくさん喋ります)

 

 

 

 

さすがにポケパラのブログでここまでの長文を読んだ猛者はいないと思うが、もしここまで読んで私のことが少しでも気になった人がいたのなら、あなたは完全に新橋の珍獣ハンターである。

 

 

 

 

 

絶対に私のことを指名して飲みにきた方がいい。

そして私の誕生日を祝ったほうがいい。

 

 

 

 

 

 

ここまで読んだ人はもう本当にいないのかもしれないが、そう、今回のこの回顧録の狙いはこれである。

 

 

 


 

 

 

ただ自分の誕生日アピールをするための、このたった数行のために今の今までこんなに長い文章を必死になって打ち込んでいた。

 

 

 

誕生日がポッキーの日だからって入りたてのお店にポッキータワーを作ってしまうような女がまともなわけがない。

 

 

 

こんなに自分の個人情報を曝け出して、トチ狂ったポケパラのブログを書けば、誰か1人くらいはこの執念のようなものを感じ取ってくれると信じている。

 

 

 

 

これを読んだ人、頼んだよ^_^⭐︎

 

 

 

 

 

 

 

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