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夕立のあとに

2024年10月02日 04時34分

 
 
 
ㅤとても暑い日だった。夏の作り物みたいな青い空と、輪郭のはっきりした雲。溶け出しそうなアスファルトと、夕立のあとのペトリコール。そう言うものが僕が最後に見た景色だった。そう言うものを君と感じていたかった。
 目を開くとそこには青い空が広がっていた。朦朧とした意識の中で立ち上がると、見覚えのあるいつもの河川敷。
 何しに来たんだっけ。」
実のところ、どういった経緯でこの場所に来たのか、あまり覚えていない。どうしたのだろう、寝ぼけてでもいたのだろうか。
「とりあえず帰るか。」
溜息を吐きながら帰路に着く。暖かいご飯とふかふかの布団が待っているであろう我が家へ。
 
 ドアノブに手をかけ、少し重たくなった玄関扉を開くと愛猫が迎え入れてくれた。
「ただいま。」
誰かに届くくらいの声で言ったが、返事はない。おかしいな。いつもならこの時間には母親が手の込んだ夕食を作っていて、キッチンから遠い声で何かしらの返事をくれる筈なのに。そう思いながらリビングへ足を運ぶと、母親が疲れた顔でソファに腰掛けていた。なんだ、いるんじゃないか。
「今帰ったよ、ただいま。」
再び母親に声をかけるが、返事はない。相当疲弊しているのだろうか。僕を見ることもせず、いつも綺麗に笑うその人はまるで別人のようだった。
「ただいま。って言って、何もなかったかのように帰ってこないかしら。」
その時、母親がそう呟いたことを、この時の僕は知らずにいた。
 
 自室に入ると歳の離れた兄が何やら熱心に作業に取り組んでいた。兄が机に向かっているところなど、今までほとんど見かけなかったのに。明日は槍でも降るのではないだろうか。兄にも声をかけたが、返事はない。集中しすぎて聞こえないのだろうか? 気にせず部屋を見渡した時、ある違和感を覚えた。僕のものであるはずの机や本。服や鞄に至るまで、全くと言っていいほど見当たらないのだ。こんなことがあるのだろうか。笑顔を絶やさない優しい母親が僕の声を気にも止めないなんて。弟想いの兄が、糖質で過ごしているはずの弟の荷物がないことがまるで当たり前かのように平然としているなんて。
 
 思わず、家を飛び出した。走って、走って、走った。不思議と体は軽く、このまま何処までも遠くに行けるような気さえした。
 
 どれくらい走ったのだろう。気がつくと、何故か懐かしいような小さな病院の前に立っていた。取り憑かれたかのようにそのままフラフラと階段を登り、長い廊下を歩き、立ち止まった。ふと見上げるとそこは見覚えのある小さな個室だった。静かに扉を開くとベッドに身を預け窓の外を見つめる少女がいた。
「××?」
僕を呼ぶ彼女の声が懐かしく感じたのはどうしてだろうか。
「そんなわけないのにね。もう君はいないのに。」
その言葉を耳にして、僕は思い出した。どうして母親が返事をしなかったのか、自室に荷物がなかったのか、兄でさえも僕に気づかなかったのか。
 
 君が好きな色の夏は僕らの季節を奪い去り、いつかまた君と同じ季節を感じていたいと言う僕の願いは、あの時一瞬にして崩れ去っていったのだ。
 
 
 
 
 
 彼女が見つめる窓のむこうを僕も覗くことにした。痛いほどの青と作り物のような雲に突き刺さる飛行機雲。飛行機雲が少しずつ空に馴染んでいき、雲の輪郭が優しくなって、いつしか、吹く風は冷たさを帯びる。
 
 
 
 
 
 
 
 そしてまた夏が来たら、君は僕を思い出してくれるだろうか。

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血液型:不明
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