可茶菓茶‐ぷりてぃぱーてぃ‐
湯島 コンカフェ
東京都文京区湯島3-38-3 まつばビルB1
TEL:090-9384-3097
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コンカフェ哲学(※鬼長文注意)
2026年08月26日 18時57分
なぜ私はコンカフェ嬢として「自分推し」のお客さんが欲しいかについての哲学的考察
序論
私は今年の六月から東京のコンカフェで働いている。そんな中で「自分推し」のお客さんが居て欲しいと考えるようになった。(「自分」とはお客さん自身というわけではなく、筆者である私を表す)
コンセプトカフェで働く人間が抱きやすいこの願望は一体どのような意味か?また、そういった願望を何故抱いてしまうのか?本稿では以上の二つの問題について考察する。
第一章:「自分推し」のお客さんとは?
コンカフェ嬢によってこの答えは変わる。シャンパンやドリンクを毎回入れてくれるお客さん、「○○ちゃん推しだよ」と物理的に発声してくれるお客さん、はたまた自分に会いに来てくれるお客さんなら誰でも?否、私にとっては、そのどれでもない。
では私にとって「自分推し」のお客さんとは何を意味するかと言うと、「自分を代替不可能な存在として扱ってくれる」お客さんである。そして、私の私性を理解し尊重してくれるという行動で示してくれるということもまた重要である。より具体的に述べると、例えば私の外面も内面も気に入ってくれており、そう伝えてくれる人。ほかには、私にしかない個性、つまり哲学を英国大学院で専攻した事なんかを活かしてくれる人。しかしただ哲学のレクチャーを求めているお客さんだとすれば私はその辺の大学教授で代替可能なので、「哲学のレクチャーをかわいいコンカフェ嬢にしてもらいたい」まですればかなり私にまで限定されるだろう。
正確に言うと、「ドリンクをくれる」「会いに来てくれる」等は「自分推し」のお客さんに付随する状況となりうる。ドリンクがないと、会いに来てくれないと、「無料/格安で喋れるコンカフェ嬢」という代替可能な存在として扱われている気がするから。しかしながら、それでもドリンクを入れること/会うことは「自分推し」のお客さんであることの必要条件にはならない。最悪ドリンクを入れなくても会いに来なくても、私を尊重して好きでいてくれていることがほかの行動から分かればいいのである(ただそういった行動はあんまり思いつかないが。うちのお店には遠隔ないし。)(「わたし推し」であるだけではなくて、「お客さん」でなければならないというのもある。本稿はあくまで「お客さん」に絞った話をしている。)
ところで、「推し」の感情とは一種の愛である。「推し」であることを表現するには様々な方法があり人によって異なる。愛情表現に言葉を使うかお金を使うかチェキをとるか態度で示すかその全部か、そうした選択は相手の個性なので私はむしろ尊重したいし縛りたくない。(こういう推され方が好き、という好みの傾向はあるが。その好みへの理解を押し付けないくらいにはお客さんを尊重する。)
こうして「推し方」は規定できない一方で、「推し」感情の根本にあるのは「他でもないこの人が好き」という愛であるという定義は有効だろう。「推し」という言葉を使うためには必ず「○○ちゃん」という固有名詞が必要である。そして、その子自身への執着が無ければ、「○○ちゃん推し」という主張は成り立たない。その為、私にとって「自分推し」のお客さんとは自分を自分として愛して尊重してくれるお客さんである。
対して、自分を代替可能な存在として扱うお客さんは大変望ましくない。「話し相手なら誰でもいい」「あなたじゃなくても成立します」と思われること、またそれを直接的にしろ遠回しにしろ表現されることに強い嫌悪感を覚える。自分の中にしかない固有のものは沢山あるので、ちゃんと見つけてもらいたい。
第二章:何故「自分推し」であってほしいか
この願望の理由は、積極的な理由と消極的な理由の二つに分けられる。積極的な理由は「自分推し」のお客さんが欲しい理由であり、消極的な理由は代替可能な存在になりたくない理由である。(余談だが、こうした分析は哲学者イマヌエル・カントが『道徳形而上学の基礎付け』で自由を積極的自由と消極的自由に分けて分析した方法のオマージュである。)
まず積極的な理由は、自分に自信があるからである。私は私を肯定してくれる周りの人のおかげで、ビジュアルにも内面にもそこそこの自信を持っている。もちろん合う合わないはあるので普遍的に好かれるとは思っていないが、マッチすればかなり人を満足させられるスキルがあると考えているし、マッチする人はまあまあ多いとも感じている。明るさ・黒髪清楚という属性・笑顔の多さ・ユニークな人生経験・思想系知識等は人を楽しませる可能性がまあまあ高い。だからコンカフェなんかやっている。また、この自信の根拠は周りの人以外にも、これまでの私の経験にも通じている。小中学生時代に人間関係において苦い経験をしたり、高校大学時代と健全な人間関係を築いて共に学問や芸術に励んだり、その後にイギリス大学院に留学したりと、自分の人生のどれもが自分を成長させてくれたと思っている。だからこそ、自分にはこんな素敵な部分があるんだから表現させてくれないと勿体ないよ!とまで思うのである。私は貴方のエンターテイナーになれます。
次に消極的な理由としては、自分自身が他人を代替可能な存在として見ないよう心がけており、そうして自分が相手を尊重するなら相手にも自分を尊重して欲しいと願っているからである。コンカフェ嬢の中にはお客さんの存在をお金を稼ぐための機械としてしか見ていない方も居ると思われるが、私はそうした考えを軽蔑しているし意識的に捨てている。資本主義の奴隷となり、人を人として見ず金銭にしか目がいかない人間が嫌いだ。これはかの偉大な哲学者イマヌエル・カントの提言「人格を手段としてではなく目的として行為せよ」に基づいているとも感じる。だから私はお客さん一人一人の個性を愛するし、お金のための手段としてではなくこのお仕事をする目的として扱っている。貴方に出会ってお互い楽しいねってなるためにここに来たんだよ。
また、自分自身誰かの代替可能な存在にならないよう努力しているし、自分のちょっと人と違うところを自分自身愛しているからというのも理由のひとつである。幼少期から「普通」「平均」が嫌いで、いつもちょっと変な方が素敵だと思って生きてきた。というか、そう思わないとやっていられないくらい私には変なところが多かった。その「変」にはいい所も悪い所も含まれる。悪い所を自己愛で開き直りたいという考えは滅相も無く、単に自分のことを自分が好きでいた方が人生楽しいからそうしたという感じ。明らかに悪でしかない「変」の部分はしっかり淘汰していった。代わりに良い「変」の部分は磨きあげる努力をしている。
ちなみに、「代替可能になりたくない」と思う人間を想像した時に、その人には他人に代替された過去があるように思えるが、自分の場合はそうでない。自分が誰かの代わりとして扱われた経験も何回か存在しているとは思うが、それが二度と繰り返したくないと思うトラウマとなったりは特にしていない。
結論
以上より、「自分推し」のお客さんが欲しいとはつまりコンカフェで出会うお客さんに私が他でもない私として尊重されたいという願望である。また、ほかのコンカフェ嬢に代替可能な存在になりたくないとも言い換えられる。そうした願望の理由には、経験に裏付けられた自信やこちらがお客さんに対して行っている尊重の見返りを求めていることなどが挙げられた。
本稿の考察は自分自身を反省するというミクロな哲学でありながら、「推し」という感情とはなにか、というマクロな哲学にも関連している。しかし、明確に「推し」感情を論じてはいないため、これからの研究の展望とする。
また、コンカフェとはどういう場所か?という疑問も本稿は解決してくれるかもしれない。すなわち、コンカフェは誰かの「私性」を見つける場所である。そして同時に、自分の「私性」を誰かに見つけてもらう場所でもある。
プロフィール
名前:ゆに(ユニ)
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肩書き:かちゃのインテリ担当(たぶん)
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